自分で自分の子どもを産むのをあきらめたこと
最初に結論から言うと、私は2019年の半ばを区切りに、欲しくてたまらなかった自分の子どもを産むことを、自分の意志であきらめることにしました。(残り一つあった凍結胚とさようならしました)
その後奇跡の自然妊娠!なんてこともなく、旦那さんとねこ4匹とののんびり暮らしを今も続けています。
最近周囲でおめでたの方の報告を聞いたりして、久しぶりに胸がざわつくことがあったので、「ほほーっ」っと自分でも戸惑い、受け入れつつ(JUYO)、せっかくなので振り返ったり、誰かの参考になることがあればと思い、久しぶりのブログを書くことにしました。
過去に書いた記事もあるのですが、ほとんどが体外授精に挑んでいた時のものだったので、そこに至るまでを簡単に書いておきます。
私が結婚したのは2012年です。
当時、というか、もっと遡り初潮が始まったすぐあとから、私はずっと生理不順&出血過多で、長年随分と生理には苦しまされてきました。(毎回病院に連れて行ってくれた母も大変だったと思う。母、当時30代。今の私より全然若かった!!)
中学生の頃から婦人科に通い、出血が多量すぎて失神し、入院、輸血になったことも数回。
20代はずっと、子宮内膜増殖症という病気で通院。治療のための掻把手術も数年に一回は繰り返してきました。
30代に入ってからは生理の痛みが激痛になり、仕事を早退しなければならないほどに。
子宮腺筋症やポリープも見つかり、婦人科通院は私にとって当たり前になっていました。
そんな状況だったので、結婚してからすぐにでも子どもが欲しかった私は、まず今持っている病気(子宮内膜増殖症やら子宮筋腫やら)を徹底的に治してやる!!と仕事も辞めて治療に励んでいました。
まだ、不妊治療や妊活の入り口にも立てない状況だった頃のこと。
やっと、妊娠しても大丈夫かな、という子宮の状態になったので、旦那さん協力の元、タイミング法から人工受精へと、妊活を進めて行きました。
正直、タイミング法や人工受精はとてもしんどかった。
夫婦そろって私の生理周期に生活が支配される・医師からは「はい!今日中に排卵しそうだから今晩から三日連続で!!」とか無茶振りされる(苦笑)・自力排卵はしないので誘発のためのいたーい筋肉注射を連日腕に打つ…など。
詳細はもう忘れてしまったけど、なんか夫婦げんかも多かったし、私もナーバスになっていたし、旦那さんもやらされてる感満載の雰囲気だし…w
これらはたぶん妊活した人あるあるだと思うけれど、そんな気持ちだったから、半年ずつやってみてダメだった時、体外授精へのステップアップは即決でした。
ただ、問題なのは、私の住む離島に体外授精ができる病院がなかったこと。
途中まで(採卵の手前まで)、注射などで卵を育てるのは連携している県立病院で対応してもらい、採卵できそうになったらその手前で本土に渡り、入院しながら採卵し、帰る、そしてまた子宮の調子を整えながら移植に向けて移動、という感じ。
移植は、採卵時に新鮮胚で一回したのかな?ダメで、その後一年近くまた子宮内のポリープやらを取りつつ整えて、移植のみ2回したかな??(もう遠い記憶であまり覚えていない)
結果は全滅。離島から治療に来ることに配慮してくれて、とても丁寧な対応の先生だったけれど、次のトライが最後なら、自分の納得がいく病院で治療がしたいと思い、思い切って実家から通える東京の病院に転院することにしました。
結果は前述のとおり、やはり授からず諦めることになったのですが、不妊治療(体外授精)をもうしないと決めたことには、少しの後悔もありません。っていうか、もうやりたくない!!(笑)やり切った!!
そういえば、先月の誕生日で私は43歳になりました。43歳って確か助成金がもらえなくなる歳だった気がする。
そんなこともどうでもよくなることくらいには、不妊治療に未練はなくなったのですが、同じくらいの年齢の人が、「やっと授かった!!」とか、「夫婦でそれぞれ好きなことをしていたけれど、そろそろ一緒に暮らそうか、ってなったらすぐに妊娠!!」とか聞くと、すごーくザワザワしちゃう(苦笑)
特に若い人がもう3人目とか、そういうケースじゃなくて、自分に近いような苦労してそうな人とか、子どもにこだわってなさそうな人が妊娠とかが、じわじわとくる…。
うらやましいな…って。
そういう人こそ、表面の私は応援してるつもりだったのにね、私のお腹の中真っ黒!!とかも思ったりして。
また改めて書きますが、色々自分に向き合うことをしてきたので、それで暴れたりふてくされたり旦那に八つ当たりしたりw、などはもうしなくなりました(ってことはそれまでは暴れてたってことw)
しかしそこでずーんときてる自分がいることに気づいて、「ほーぅ」と思ったのです。
そしてこれはやっぱり、なかったことにして封印しないで、いつかほんとにどうでも良くなるまではちゃんと自分で付き合ってあげる感情なんだな、と思うに至ったわけです。
決して心地よくはないですが、「そんな私、よしよし」ってよりは、「うわっ、またでたなw」って眺める感じです。そしてただその自分を受容(JUYO)する、の繰り返し。
今は自分が産んだ子どもじゃなくても、赤ちゃんからじゃなくても、子どもを育てたい、育てることに関わりたいという気持ちが強いです。
これもまた後に書いていこうと思いますが、不妊治療を辞めるか辞めないかくらいの時から同時進行で、養育里親・養子縁組里親の研修を受講・修了したので、今はその可能性も模索中です。
ただ、里親や養子縁組だって、児童相談所の人と話していると、産むのと同じくらいその時のタイミングや縁によるものだと思うようになりました。
特に養子縁組は、児相のような公的機関からくる話を待つこともあれば、不妊治療のようにお金や労力を惜しまず、民間の団体からの委託を待つような人もいる(民間の方が児相からよりは少しスピーディに受け入れの話がめぐってくる様子)。
その辺は、これから旦那さんとの間で考えやモチベーションをなるべくすり合わせながら、進めていこうと思っています。
思うのは、子どもが来るのは、親になるのは、どんな方法だったとしてもやっぱり縁なんだなってこと。
来ないからダメということじゃなく、その縁がなければ違う縁で関わることもできる、というのは最近短期の里親をさせてもらいながら思います。
どんなことであれ、それでも子どもが育つことに関われるのはすごい充実感があるし楽しいこと。
そこは、うちの旦那さんともぴったりと意見が一致するところで嬉しいです。
だから、産めないことは私にとって、全然悲観的に考えることじゃない。(そう思っていた時期も何年間もありますが!!)
でも、やっぱり、妊婦さんみるとめちゃくちゃうらやましいーーーー!!!(涙)
一度はお腹がおっきくなるのを夫婦で眺めて、声かけたり写真撮ったりしてみたかった!!(これも後述ですが、胎嚢確認前での流産経験はあります)
その、自分の中から出て来る本音は、隠さずに正直に感じていこうと思います。
自分ができなかったことをうらやましがることは全然、卑しいことではないと思います。わざわざ相手に言う必要はないけれど、感じちゃいけないことでもないので。
そういえば、「むしろ不妊治療できる経済状況だったことがうらやましい」と面と向かって言われたこともあったな(子どもは一人いて、二人目が欲しいと思っていた人)
喉から手が出るほどうらやましい、と思った想いの矛先を、どこに向けて行動していこうかな、というのが、目下の課題です。
自分が楽しくなることに使いたい、それで誰かの役に立ったら良いなと思っています。(ここにこうやって書くこともその一つ)
また、過去記事を修正とかしながら不妊治療シリーズはしばらく書いてみようかと思います。
お読みいただきありがとうございましたm(__)m
人生の棚卸しとリフォーム
今までも少しずつ少しずつ、向き合ってきたことではあるんだけど、ここ最近、私の中でどーしても赦せないことや怒りが沸いてしょうがないことや、これ(この人)大嫌い!!って思うことが、くっきりはっきり出てきてる。
感情がすごーく揺さぶられることも度々。
瞑想したり、その現実は自分の無意識の投影で…とか、それは相手が問題じゃなくて自分の問題で…とか、自分の感情に向き合うとか、ただそれを感じきる、とか、自分一人ででもやるべきことはあるんだけれど、それもしながら、そろそろこの繰り返しから突破したいな、とも思う。
要するに、自分の中で何度も同じ所で躓くのからもう抜け出したい、と思うくらい根深い何かがある(苦笑)
(私って本当に執念深いw)
物理的な大掃除や断捨離のように、私の中に染み付いてしまったいらないものを断捨離するのを、もう少しスピードアップ?したいと思うようになりました。
(生きているうちには断捨離終えたいw)
そのために必要な行動は何か?
そう思っていたら、「エネルギーを使って潜在意識の書き換え」とか、一瞬でできちゃうよ、楽で早い方法あるよ、とかのお誘いもあったんだけど、正直いうと私はやっぱり、私が納得して手放したい(笑)
だから、効果が目に見えてわかる筋トレや、英語学習にもっと力を入れることから始めました(笑)
そうすると、少しでも動き出せば変わるんだってことがわかったし、自分の弱点や長所も少しずつわかってきた。
で、自分問題。
いきなり今がダメだからダメを捨てて良くなる!!だと全然そうなれる気もしないし、楽しくない。
自分の嫌なところばかり見えてくる。
だから、瞑想とかゆったり呼吸とかして落ち着いた自分の時に浮かんでくることを大切にする、やってみる。
あとは、あー、こういう状況に自分を置いておくのは、自分に対して酷い仕打ちだな、と思うことからは離れる、やめる、嫌ですと言う、とかを最近意識してました。
まだ人に対して、それは受け入れられない、とか嫌!!と言うとき上手く言えなくて、逆に必要以上にきつく言ってしまったりするけれど、それも練習中。
そうしながら思ったことは、今までずいぶん周りを気にして、相手の反応を気にして、自分の本音をねじ曲げてきたかもしれないな、ということ。(自分の怒りに対して反応鈍かったのもある)
その時の怒りがお腹にグツグツ溜まってるから、似たような状況になったときに、目の前の人に過剰に怒りが沸いたりする。特に家族には強く当たっちゃう…(ごめん、旦那さん)
そんな私を近くで見ている旦那から一言、
「人に体当たりしていくのが見ていていたたまれない…」
なんか、すごく的を獲ていて納得してしまった。
私がするのは、私の意見や思いを相手に伝えること、だけ。
でも、昔無視されたこととか、上から押さえつけられたこととか、言いくるめられて言い返せなかったこととか、バカにされたこととか、言いたいことを遮られたこととか、とにかく悔しかった思いが、もう誰に何を言われたかも思い出せないくらいグツグツになって私の中にあるから、ちょっとしたことで火がついて突進したり、被害者意識に繋がってしまうんだと思う。
(さらにそれが自分の中の正義感にすりかわる)
あー、これもう、癖になるくらい無意識でやっちゃってるな、止めたいな、と思ったのがここ1ヶ月くらいの話。
嫌なら嫌と言っていい。
怒りが沸いたら(そのままぶつけるのではなく)、私は傷つきましたとか言っていい。
結果伝わらずに嫌われてもいい。
なんか、そういう毅然とした強さを身に付けようと思いました。
今まではむしろ、嫌なことも我慢して頑張ってやってる方が誉められたり可愛がられたり、同情されたりして、何なら男尊女卑的な男の人からはモテたりして、ちょっと得すると思ってたかもしれない(無意識にも)
でも、本当にいらないのはこっちの方。我慢とか頑張るポーズとか、誉められるとか優遇されるとか同情。
そうされてる人を見るとザワザワするけど、じゃあ羨ましいか、そうなりたいかと思うと、そうだった過去の自分を思い出しても、それで全然幸せじゃなかった。
これは自分棚卸しのほんの入り口かもしれないけど、ここから、私がこれからの人生どこで誰と何をして生きるか、を決めていく基準になるんじゃないかと思う。
今この世の中の状況ゆえに、一つ一つを文字にする余裕がないくらい、日々、今までしたことないような決断を迫られることが多いけど、そのためにも大事、私の棚卸しと建て直し。(建て直しよりぴったりな言葉が今のところ見つからない。リニューアル?)
なので、ちょっとまた今考えていることは外に出していきたい。
自分に向き合うことと、行動とともに。